去る令和7年12月20日に行われた西日本思想史研究会の講演会に合わせて北九州入りした本会(仮)メンバー(管理人)は、研究会直前に巡見企画として、
北九州市内に残る蓮門教に関する史跡を訪ねました。
蓮門教は明治期に島村ミツが法華神道を背景として開いた宗教で、小倉の地を本部として一大教勢を誇りました。病気治療などの布教法が新聞により淫祠邪教の批判を受け、大正には衰滅してしまいました。教団としては神道大成教の参加教会として公認されており、この蓮門教バッシングとそれへの対応が、本会(仮)メンバーが屡々言及する神道改革の重要な背景のひとつとなっています。
さて、今回見学したのは2件。
1件目は教祖島村ミツの墓です。
詳しい位置など知らずに訪ねたため、結構周りをウロウロしました。
小倉北区の福聚寺というお寺の墓地のようですが、境内のはずれの方らしく、複数のお寺の墓地が集まっている地帯です。
路地には面しているのですが、そこから2m程度急な階段を上がった上に、さらに3〜4mの石塔が建っています。
前面の刻文は「蓮門教会長大教正島村光津子之墓」、背面は「明治三十七年二月二十三日帰天享年七十四」とあります。
階段も墓域も冬ながら草に覆われ、墓石もツタに覆われてました。

横には夫・音吉の墓碑も控えめに並んでいます。
時代の移り変わりを感じますねえ。
行った時にはよくわかりませんでしたが、今はGoogleマップに登録されています。
2件目は小倉南区に鎮座する六社神社(六社大神社)という神社境内に残された「蓮門妙法塔」です。

これは、師である柳田素入の十三回忌に島村ミツが今は無き本部に建立したものです。
背面には素入柳田市兵衛の来歴が刻されています。
こちらも大きな石碑で、蓮門教のパワーを感じました。