投稿者は、Twitterで「教派神道」を検索すると、ある種の偏見というか、ステレオタイプというか、そういうのがあるような気がして、いちいちそれに反応していたりしました。
人はなぜ「近代教派神道の多くが、市井の女性の神懸りから始まる」と言ってしまうのか。
https://twitter.com/imakov/status/1261618567838969858?s=46&t=7syymvs1X1G3ePI7K2kckg
人はなぜ「近代教派神道の多くが、市井の女性の神懸りから始まる」と言ってしまうのか。
https://twitter.com/imakov/status/1261618567838969858?s=46&t=7syymvs1X1G3ePI7K2kckg
https://twitter.com/imakov/status/1293479587075121153?s=46&t=7syymvs1X1G3ePI7K2kckg
「天理教・中山みき、一尊如来きの…近代教派神道の多くが、市井の女性の神懸りから始まるのはなぜか。」
気のせいだと思います。
https://twitter.com/imakov/status/1234768725082923009?s=46&t=7syymvs1X1G3ePI7K2kckg
「教派神道はそれぞれ唯一の神様を崇敬します」
????
https://twitter.com/imakov/status/1290423042045165568?s=46&t=7syymvs1X1G3ePI7K2kckg
元のツイートはいちいち引用しませんが(面倒なので)、いろいろ考えさせられますね。
関連:五味文彦・鳥海靖『新 もういちど読む山川日本史』(山川出版社、2017)